読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

はちどりわ〜るど

それでも自分の人生に満足してるその辺によくいる外資系会社員 20代にてガン宣告。手術・抗がん剤を経て「若年性がんサバイバー」1年生。/ 「毒親サバイバー」/「性暴力サバイバー」/準ミニマリスト/日々色々勉強中 ブログで自分の幸せ&社会の幸せを考えながら生きるヒントを綴ります

死にたい・死んだほうがまし と考えたことがある、元がん患者が死生観・安楽死について話したいの。②

こんにちわ〜ハチドリちゃんです。先日の記事にて、”死生観と安楽死について”書き、私の敬愛するブロガーさんが、安楽死に関してしっかりと意見を伝えてくれました。

さらに考えを発展させることができたので、今回も重たいトピックではありますが、お話したいと思います。

 

前回の記事:死にたい・死んだほうがまし と考えたことがある、元がん患者が死生観・安楽死について話したいの。① 

 

記事にしてくれたブロガーさん:「四つ這いおとな」さん

「脳性麻痺」という先天性の障碍を抱えてるため直立歩行はできず、車椅子と”四つ這い”で移動しながら、日本のどこかでひっそりと暮らす、20代男性ライター

サムネイル画像がハチドリちゃんだ!

 

四つ這いおとなさんは、上記の記事内にて、「安楽死に賛成する人の方が多数派」と記載されていて、まずそこから考えていきます。

”「安楽死・尊厳死」についてしっかり考えた上で賛成している人” は多くはないと思う

かく言う私も、自分ががんにならなければ、死についてここまで考えることはありませんでした。

※そもそも、ブログ自体も、2016年に始めることはなかったです。

1年前の私に同じ質問をしても

「え?死ぬ時?痛いのだけはマジ勘弁ッス。え?痛くないの?じゃ、安楽死さんせー」というくらいのものだったかもしれない。

過去の私は、”考えていない”多くの人の象徴であるとは言い切れないですが、

死について質問された時、言葉に詰まる人の方が大多数ではないでしょうか。

 

四つ這いおとなさんは、記事内にて

多数派の意見と自分の意見が一致してるなら、別に叫ぶ必要はない。だって、自分の代弁者は、いっぱいいるんだから。

※上記の”多数派”は「安楽死賛成者」を指します。

 

と話しています。

この意見に対しての私の回答は、以下です。

私は、”少数派”=”安楽死反対者”の意見をしっかり受け止めたいという意思が前提にあります。

そして、議論をして勝った・負けたとするのでもなく、四つ這いおとなさんをはじめとする”少数派”の説得を目的とするのでもありません。

議論をすることで起こりうるリスクに恐れず、

出来れば、四つ這いおとなさんや、この記事を読んでくださる皆さんと一緒に、

”自分の幸せと社会の幸せ”について考えていきたいのです。

※また、私のブログを読んでくださるための方へのメッセージとしてここに記しますが、

私は、相手の意見を否定することはあったとしても、それは人格の否定を行っているわけではありません。

世界中で安楽死に賛成する人の割合は分からない

日本のネット上を見ていると、確かに賛成とする人が体感的に多く

データーでも、東京大学 死生学 応用倫理センター(2014年)によると、

「死が本当に近づき、苦痛に耐えられなくなった時に病気と闘うことを辞め、安楽死を選びたい」とする人の割合は70%であると示しています。*1

日本では、安楽死を賛成する人は多数派といえるかもしれません。

 

日本以外の国ではどうでしょうか。

例えば、宗教は日本より根強い傾向にある複雑な国:アメリカでは

50あるうちの5つの州のみ、合法化しており、

本当に賛成している人がどれほどいるのかは分かりません。

カナダでは2016年に安楽死は合法化され、スイスへの安楽死ツアーという言葉も聞くようになりましたが

190カ国以上の国・73億人以上の世界で、どれだけの人が賛成をしているのかはデーターとしてはありません。

しかし、先進国にて安楽死が議論されているという見解は間違いないでしょう。

私は辛い時、死にたい・死んだほうがマシだなんて、ちっとも思っていなかった

??おいおい・・タイトルに「死にたい・死んだほうがマシと考えたことがある」と書いてあるじゃないですか。

あえてタイトルは変えることはありませんが、

よくよく考えてみると、それは言い過ぎだったと思います。

私の当時の心情を振り返ってみると、

がん宣告後は「死にたい!死んだ方がマシ!」ではなく

「死にたくない!死にたくない!死にたくない!」でした。

がん治療後、色々なことを失ってしまった後も、

「死にたい!死んだ方がマシ!」ではなく

「消えたい!」「このまま眠って目を覚ましたくない!」でした。

そして、それは「愛する夫のために生きよう」という

なんとも重たい話にすり替わり、

それもいつしか柔らかく消え去りました。

2016年11月末に、がん治療を終えて”元がん患者”となり、

沢山の夢と希望を持ちフラフラと立ち上がり、下記の記事を書いた次第です。

自分でも気づきますが、この「ハチドリとブログについて」以降の、

記事の内容の傾向は、それ以前と異なるものとなっています。

 

また、がん宣告を受ける前も、「死にたい!死んだ方がマシ!」という経験を度々していますが、

それは、正しくは

「消えたい!」「このまま眠って目を覚ましたくない!」「誰か助けて!」

という絶望の悲鳴であり、

その時も、「死にたい!」ではなく、

現実から逃げたい、痛みを感じたくない、もうこれ以上辛い思いをしたくない

ただ「救われたい」という切実な願いでした。

多くの「死にたい・死んだ方がマシ」と考えている人は、これかもしれません。

 

そして、確かに私は手術後、「殺してー!!」とICUの個室内で叫びました。

 

それは、”安定している今の私の精神でさえ、蝕ばれるほどの酷い痛み”に対する、

心からの悲鳴であり

四つ這いおとなさんも、

心がいちばん弱りきったときに「ラクになる薬」を渡されてたら、もしかしたらとっさに飲んでしまってたかもしれない。

と書いていますが、

私も「ラクになる薬」を当時渡されていたら、飲んでいたことでしょう。

しかし、それは、痛みから解放されたいというその一心であって

やはり「死にたい」とは違います。

 

忘れてはいけないのが、安楽死を望んでいる人も、本当は死にたくないのです。

 

”死の瞬間”に対して優劣はない

苦しみぬき、最期の一呼吸後の”死の瞬間”。

呼吸が止まって回復が見込めないと判断されて延命装置を外された後の”死の瞬間”。

安楽死を選び、薬を投与された後の”死の瞬間”。

それらの死の瞬間に、優劣の差はありません。

そして、前回の記事でも書きましたが、どの人もそれまでに懸命な努力をしているため

その決断や”死の過程”にも優劣の差はありません。

 

四つ這いおとなさんは、

僕は、最期まで生き抜いた自分が、いよいよの今際の際になにを言うのかを聴いてみたい

と話しています。

 

私の、死に対して好奇心を持ち、”信じたい”と思う願いと、

安楽死を支持する理由は別物です。

勿論、”体験レポ”なんてありませんし、人間の最期は”想像”でしかなく、”エビデンス”がないため、

安楽死でさえも幻想かもしれないと、時には思う私の回答は

「そこまで死に対しては期待できない。」という淡白なものとなります。

そして、どのように死ぬかを選択することは、どのように生きるかを選択すること。

押し付ける気持ちは全くありません。

だからこそ、安楽死の選択を支持したいのです。

しかし、四つ這いおとなさんを始めとする

「安楽死」を支持しない人の意見の理由は、”わかります”

人間の多くは「治療方法・延命方法」がある限り、生の可能性にかける。それは、”尊厳を保つ”という、綺麗な言葉で線を引けるものではない。

がん宣告を過去に受け、治療を受け終わった私は、

この先、生き続けることができるチャンスは医学的にも大いにあります。

 

そう、私のように「治療方法・延命方法」があり、

現実的な話として”お金”がある限り、

逃げたい!誰か助けて!と悲鳴をあげながら、生の可能性にかける人が大多数です。

 

しかし、例えば

「”治療”を起因とし、死に至る危険性は医学的に高く、

それでも治療を受けなければ病状が容赦なく進行し、

短期間で死に至る可能性が高い場合、

”その治療”に命をかけることができるか。」

という質問に対しては、私は回答をすることは出来ません。

言うまでもなく、死に至る危険性が高い治療の場合、

”その治療”後の容態・後遺症も壮絶です。

 

答えられない私がいる一方、

その”命がけのギャンブル”に歯を食いしばり、

結論を出した人達が現に沢山いるのです。

そして、

チューブにまみれたり、24時間延命治療の装置をつけながらでも

文字通り”必死”に生きている人はこの世界に沢山いて、

その人達にも、しっかり明日という未来があります。

「強制的延命」:その段階でも、生の可能性があるため、”尊厳死”でさえ、積極的な”自殺幇助”となる可能性がある

尊厳死。

自力の呼吸が止まり、意識が無くなった後も、誰かがボタンを押さなければいけません。

そのような結末になった場合、ボタンを押してくださいという意思表明をするのは、

出来る場合は本人。出来ない場合は家族になります。

そして、ボタンを押したり、栄養剤を取り外すのは医療関係者達。

そこに、底知れない悲しみがあります。

悲しみとは別に、そのボタンを押すという行為を考えてみましょう。

「安楽死によって死期を早める」ということは、

選択であり、”行為を行うことの行為”です。

そして、同じく「これ以上の延命を行わないことで死期を早める」ということは、

それも選択であり”行為を行わないということの行為”なのです。*2

ここまで突き詰めると、

消極的安楽死=尊厳死を消極的とするか?問うと、言葉に詰まります。

 迷惑をかけたくないから「尊厳死」を選びたいという人は、甘いと思う。そして、”人間の尊厳”なんて、脳が作り出した思い込みにしかすぎない。

ここで、瀬戸内寂聴さんの話をしたいです。

瀬戸内さんの考え方の多くは、私の考えとは全く合わないことが多いです。

2014年9月に出版された、堀江貴文さんと瀬戸内さんの対談方式で綴られた

「死ぬってどういうことですか?」にて、

 

瀬戸内さんは、「やっぱり体が不自由になって誰かの世話にならなきゃならないじゃない。それイヤじゃない。ねぇ。」

と語ります。

一方、堀江さんは「あ、僕はそうでもないですけど。僕は人に迷惑をかけてでも生きていきたいですけど。」

と話されます。

それに対して、瀬戸内さんは、

「それは甘えてるね。私はイヤ。堀江さん、監獄でお年寄りのうんこなんか全部始末してたんだから偉いよ。」

「自分でトイレに行けなくなったらもう死んだほうがマシだと思うのね。」

と続けました。

 

上記を読んだ時に、

瀬戸内さんは、90年以上一体なにを見てきたんだろう?

それか、人の痛みが分からない想像力が欠けている人なのかもしれないと思いました。

 

瀬戸内さん、あなたの考えは甘い。

 

今、瀬戸内さんがどのように考えているかは分かりませんが、

その後、ご自身はがんの手術を受けられ

2016年の5月に出版された「老いも病も受け入れよう」にて

”手術は怖くない” 

”「人生の最後にまた一つ変わったことができる。」

ガンの手術を受けることに、わくわくしました。”

 

という箇所を読んで

変わらない方だな・・・と本屋でため息がでました。 

 

人間の人生・最期は人様々です。 

分かったふりではなく 

常に謙虚でありたいものです。

 

「他人様に迷惑をかけてんじゃない!」と子を叱り、人に頼る行為を恥とし

「迷惑をかけるくらいだったら潔く死にたい」を美徳として、”格好つけた”死生観と

実際の死の現場が、残酷な程に乖離があることを

直視しなければいけません。

”胸を張って生きる”とは、この乖離を

直視をすることも含まれているのではないでしょうか?

 

私にも、一時期自分の”尊厳”が守れない日々がありました。

病室で悔しさに何度涙し、絶望したことか分かりません。

 

しかし、”尊厳”という願いは人間の”脳・文化が作り出した”思い込み”です。

”この思い込みとの乖離”を直視した後は、

 

点滴棒にしがみつき、体につながれた何本もの管をつけながら、ベッドから起き上がりました。

 

それは、私にとって、その起き上がり方がどんなに不格好でも

”人間の尊厳”という思い込みとの乖離に絶望をすることを辞め、

胸を張ろうと前進した瞬間でもありました。

”国にお金がないから安楽死を導入すべき”という考え方は、「殺人」だ。それは許すべきではない「悪の意見」だ。

高齢化社会と年金問題が叫ばれる中、国にお金がないから安楽死を認めるべきだと話す人がいます。 

「障碍者は対価を生み出していない。→安楽死を認めるべきだ」

「高齢者は対価を生み出してない。十分生きたでしょ。→安楽死を認めるべきだ。」

「最期は他人に迷惑をかけず、逝くべき→安楽死を認めるべきだ。」

 

このような「悪の意見」を言う人は

 

ご自身も同じように老いたりすることを忘れているのではなく、

いつか、自分の身体が不自由となり、”同じようなこと”を言われる時が来るということを知っています。

 

いつか言われる自分への救済措置として、安楽死を認めるべきだと、叫ぶのです。

 

そのロジックで、安楽死に賛同するのは、間違っています。  

 

しかし、私は常に人間性あふれる正義の人間なのでしょうか。そしてあなたは? 

「弱者に厳しい社会」は今始まったことではない。そしてこれからますます厳しくなる傾向にある。

つい先日、私は車が何台も並ぶ大きな横断歩道にて、

渡っている途中で信号が赤に変わってしまい焦っていました。

 

私は、後ろで足を引きずりながら同じく焦っている女性に気づきました。

がん治療後で体力がなくなった私よりも、その方は歩くのがずっと遅かった。

私は、車は止まってくれるということを信じて、その方に「大丈夫ですか?」と声をかけました。

 

しかし、例えば、包丁を振り回しながら追いかける人が後ろにいれば、

私は声をかけることもなく、必死で逃げたと思います。

その方に、「どうか助かって欲しい」と心で願いながらも。

そこに私の”人間らしさ”があります。

これは、私がどんなに心の中では人間性のあることを考えていたとしても、「見捨てる」という行為なのです。

 

四つ這いおとなさんは、「見捨てられやすい人」であり、「見捨てられたくない人」そして「見捨てない人」です。

この四つ這いおとなさんが書いた上記の記事のタイトル。

「日本が死ぬ」時には、「僕は真っ先に死ぬ」と明言しています。

 

2016年7月26日に痛ましい事件が起きました。→これはたった5ヶ月前のことです。

”相模原障碍者施設殺傷事件”

これは、障碍者福祉施設で、”この容疑者”は、

重度の障害者は生きていても意味がなく、安楽死させたほうがいい。と、

世界の平和を願い、正義感を持って

19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせました。

 

下記はこちらも四つ這いおとなさんによる

”相模原障碍者施設殺傷事件”についての記事です。

 

私は、これに対しての答えは、前回の記事

「私達の命の価値・私達が生きることの意味は、他の誰でもない私達自身が決めることです。」              

と話しており、その回答は揺るぎないのですが、

実際、死ねよ!と”刃物”の先を背中に向けられている人々に対して、 

私が 

「あなたの価値はあなたが、決めることだよ!だから、気にしないで☆」

なんて話しても

「ハチドリちゃん、あんた分かってない!! 綺麗事言うな!(怒)」と言われることでしょう。

 

また、”この容疑者”が、衆議院議長に宛てた手紙はインターネット上に上がっており

支離滅裂と言われていますが、

”この容疑者”の、かなりの苦しみが伝わってくる内容です。

けして、内容を支持しているわけではありませんよ。

”この容疑者”という怪物は、私達の社会が生み出したものだと感じます。

 

この記事の初めの方で私は、

四つ這いおとなさんを始めとする

「安楽死」を支持しない人の意見の理由は、”わかります”

と書きましたが、

”わかります”と、””で囲っているのは、

私は刃物を向けられていないから本当の意味で分かっていないからです。

 

でもね、私、”わかるよ。”

 

2016年、怒りの米国人達が、ドナルド・トランプを大統領にするという

”普通ではない”行動に出ました。

税財源からまかなうことで、原則医療費が無料であるイギリスは、

ここまで聞くと天国のように聞こえますが、

国を持続させるために、現在大幅な改革プランが検討されています。

 

日本にも”痛みが伴う革命”が行われる可能性が高いです。

 

自分の身を守るために皆必死な状態になり、

相対的に”価値がない”と判断されたら死ぬことを余儀なくされる。

 

それを避けるために、社会が存在しているのですが、

その社会が機能しなくなる前にこれからどうしていけば良いのでしょう。

それは、これから皆さんと考えていきたいです。

「”経済的に余裕がないから安楽死に賛成という非倫理的発言”↔”高齢者・難病者・障碍者の生きる権利を守るために、安楽死には反対”」という構図と、安楽死を支持するべきロジックは全く違う。

自殺を発生させてしまう日本社会はとても悲しい。

経済的に余裕がない!だから安楽死には賛成!と”悪質なこと”を言わせている日本社会はとても悲しい。

沢山の人々が、未来に恐怖しなければいけない日本社会はとても悲しい。

そして、痛みを取り除くことができない”現代医療の限界”もとても悲しい。

人間の無力さを感じます。

 

しかし本来、安楽死という考え方自体はけして悪ではありません。

安楽死の考えは、最期を迎える人に対する出来る限りの”慈悲”であり、

私達の”人間性”から生まれた人間的な行動です。

そして、「相模原障碍者施設殺傷事件」は、曲がった”慈悲”でした。

人間の優しさから生まれた考え方が、非人間的な行動に使用されることは間違っています。

曲がったことを考える人々で埋め尽くされた社会にならないために、

綺麗事だと揶揄されても、自身の幸せ・社会の幸せを考えながら私は今日もここで声をあげます。

あなたは、一人じゃない。一緒にこの世の中を生きていきましょう。

*1:http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/55822/1/Horie_201404.pdf

*2:個人的に、ドイツにおける臨死介助および自殺幇助の権利が考えの発展に役に立ちました。PDFにて読むことができます。http://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/05/A04408055-00-0470302051.pdf