はちどりわ〜るど

それでも自分の人生に満足してるその辺によくいる外資系会社員 20代にてガン宣告。手術・抗がん剤を経て「若年性がんサバイバー」1年生。/ 「毒親サバイバー」/「性暴力サバイバー」/準ミニマリスト/日々色々勉強中 ブログで自分の幸せ&社会の幸せを考えながら生きるヒントを綴ります

他人の理解に依存するがん患者

ハチドリは、現在がん治療中。3回の手術を経て、抗がん剤中の6回のうち4回が終わりました。
職場復帰を間近にしています。本日は、抗がん剤投与後から3日目にあたり、副作用のためいまいち何をしていたのかよく覚えていません。

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「理解をしてもらいたい」という病

ハチドリは、自己判断するに「極度の理解してもらいたい」病です。これは、以前の記事にもあった自身が「アダルトチルドレン」であるというところも原因であると考えています。また、このブログを通して自身の考えや体験を発信していくということ自体も、「他人に理解してほしい」といった気持ちの現れであると判断できます。本日は、この理解をしてもらいたいという、他人にとっても、ハチドリにとっても迷惑なヤマイについて、考えていきたいと思います。
 

患者・そして人として正しくあり続けることはできていたか

どんな状況であっても迷走したりせず、「人として正しくあり続けたい」という、プライドに近いものは以前より持っていましたが、人間困難な状況に置かれると、冷静さを忘れて迷走してしまうこともあるのではないでしょうか。ハチドリがこの病気になる前も、今考えれば「大したことのない困難」に対して、極端な子供っぽい反応をし、迷走して他人様に迷惑をかけてしまったことは数知れず。「問題児」としてレッテルを貼られたこともあったなと、その恥ずかしい過去を考えて足をバタバタさせたい衝動にかられることはよくあります。
 
この病気になっての迷走もかなりありました。人をひかせるような発言や、痛みやストレスから来る
人への暴言。闘病中で辛いんだ!という印籠を見せるような自己中心的な行動。
「患者力」という言葉を知ってしばらく経ちましたが、ハチドリにはこの「患者力」というものがどうやら足りていない様子。がん患者だからといって、何を言ってもよいか、他人様に甘えまくってもよいのかといったことにはなりません。これは、もう「患者力」というより「人間力」に近いものがあります。
 

「自己正当化」と「自己肯定」は違う

しかしですね、同時に言い訳したいという気持ちがムクムクと湧き上がります。
 
ハチドリが、愛想良く出来ない理由を。一人ひとり、呼びつけて。全員に理解してもらいたい。がん宣告を受けたその日の感情から、心の痛み、体の痛み。乗り越えてきたこと。悪夢。全部全部話したい。なぜ、「当たり前のことができないのか」という理由を、「こんなに辛い思いをしているのだから、仕方ないね。」という理解・同情が欲しいのです。賛同者を得ることによって、自分の過去の行動を正当化しようとしています。
 
これは自身の過去の行動が、けして誇れるものではないということが、ハチドリ自身が分かっているからこそ、言い訳をすることによって、「そうだね。ハチドリは悪くないね。」という承認欲求に飢えているのです。
 

自己肯定は幸せへの一歩

 
その承認欲求に飢えているハチドリを、またあえて自分で責めるというよりかは今のところ、「まあ本当に辛かったんだから過去の言動・行動は仕方ないよね〜」という楽な気持ちを持って、自分自身を肯定してあげることがハチドリにとって必要だと思います。ここでストイックに自身を責めていては、新たに備わった「人間力」を盾にし、他人に厳しい人間への一歩も踏み出しそうだからです。
 
自信喪失しネガティヴなスパイラルに陥り、自省を重ね、不必要に自分を攻めたてることは必要ありません。自分自身を認め肯定してあげれば、他人に理解を求め、自分を正当化するために他人を利用するといった衝動自体も抑えていけると考えています。
 
そもそも、承認欲求を埋めて心の傷を舐めてもらうことを他人様に求めていても時間の無駄といえるでしょう。これは人との繋がりを求めず、「どうせ理解なんてしてもらえない」と諦めるといったことではなく、ハチドリが求めている心の平穏を保つために必要なことだと考えています。
 
安心感を手に入れるために他人を利用し、他人が理解をすれば「勝ち」であり、その「勝ち」に執着し、エネルギーを使用することで、心は疲弊していく。
この執着するということから解放されるということで、ハチドリは一歩ずつ幸せに近づいていきます。
まずは、曲がりなりにもベストを尽くしてきたハチドリに自分で拍手。